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■九州学連結成まで

1962年、全日本学生アーチェリー連盟が結成された後、関東・関西を中心としてアーチェリーが各地へ浸透しつつある中、九州では全日本学生アーチェリー連盟の働きかけにより、福岡大学、西南学院大学、八幡大学(現在の九州国際大学)の三校により、九州学連結成への準備委員会が設立されたようです。

■九州学連結成

1966年4月1日、初代委員長に児島氏(福岡大学)が就任し、また鹿児島経済大学を迎え加盟校4校、総連盟員数21名で九州学生アーチェリー連盟が結成されたようです。当初は社会的な連盟の代表者である会長・副会長の選出は行なわれず、アーチェリーを広く普及し、試合を円滑に行なう団体として発足したもようです。

■全日本学生アーチェリー連盟への加盟

1966年3月、全日本アーチェリー連盟が都道府県アーチェリー協会、全日本学生アーチェリー連盟の上部組織として収集整備し、アマチュア団体として発足。初代会長に愛知氏を迎える。愛知氏の要請を受けて1967年、中牟田氏が九州学生アーチェリー連盟の初代会長へ就任。これを以って全日本学生アーチェリー連盟へ加盟。

■創立10周年まで

当時はリーグ戦のブロック編成もまだ南北の2ブロック制であったようです。この当時、個人戦もまだ一つしか行なわれていませんでした。

■創立20周年まで

加盟校も随分増え、連盟自体も大きく変わりました。リーグ戦も4ブロック編成へ移行。また20周年を記に個人戦が二つ行なわれるようになりました。

■創立30周年まで

最もアーチェリーの普及が行なわれた時代。一時は総連盟員数も600名に登ったと言われている。試合もほぼ現在の型に定着。安定した時代を迎えていた。

■創立40周年まで

加盟校は16校に増え、総連盟員も400名近くに上がったと言われている。会長も初代中牟田氏から上田氏を経て、現在の原氏に変わった。連盟員の全国的な減少が叫ばれる中、九州では若干増えたと言われている。また、このころの九州学連は変革期であったと言われている。これまでの試合を見直し、不要なものの排除、そして必要なものの設置と、様々な点が変更された。

■現在の九州学連

現在は衰退期と言える。全国的にもアーチェリー人口は減少傾向にあると言われ、九州でも加盟校は14校とあまり変化は無いが、総連盟員数が200人近くまで減少した。今後どのようにしてアーチェリーを普及させていくかが大きな課題である。

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